井戸川克隆(78)という人物を憶えているだろうか――。
井戸川は東京電力ホールディングス・福島第一原子力発電所がある人口7000人ほどの小さな町、福島県双葉町の町長だった。
13年前の2011年3月11日、福島第一原発は地震と大津波に襲われて過酷事故を起こし、井戸川は放射能から守るため200キロ以上離れた埼玉県に双葉町の住民を避難させた。だがわずか2年後、井戸川は町議会によって不信任決議案を可決され、町長を辞職した。放射能汚染を「なかったこと」にして進む福島復興に抗ったため、町長の座を追われたのである。
さらに人気漫画『美味しんぼ』誌上で、鼻血など自身の体調不良の原因が被曝だと訴えたため、「風評加害者」「福島復興の邪魔者」とバッシングを浴び、大手メディアからその名前は消えた。井戸川について多くの人が知っているのはそこまでだ。
だが井戸川は今も闘い続けている。たった一人の提訴から9年。通称「井戸川裁判」は今年9月18日、東京地方裁判所で原告・証人尋問を迎えた。
私は12年にわたり井戸川の取材を続け、2月に『双葉町 不屈の将 井戸川克隆――原発から沈黙の民を守る』(平凡社)を刊行した。本記事は筆者による井戸川裁判の傍聴記である。
異例の長期裁判も低い関心
9月18日のこの日は第30回口頭弁論で、一審判決はまだ出ていない。私は毎日新聞の記者時代、大阪で裁判を担当していた経験があるが、ここまで長い訴訟はきわめて珍しい。
開始15分前に東京地裁1階の大法廷に入ると、井戸川が一人ぽつんと原告席に座っていた。周りには誰もいなかった。1年ほど前から代理人弁護士のいない本人訴訟になっていたからだ。
傍聴席には70人ほどの支援者が座っていたが、井戸川の妻ら数人を除いて、井戸川が命を懸けて守り抜いた「双葉の民」はいなかった。記者席も設けられておらず、この証人尋問がニュースとして報じられる見込みはないことがわかった。この原発事故を象徴する人物が起こした訴訟のヤマ場にしては寂しい光景だった。
世間の関心が低い理由は、13年が経って事故の恐怖が風化したこと以外にもある。
最高裁判所は2022年6月、原発事故被害者の集団訴訟について国の責任を認めない判決を下した。原発事故の被害者が国と東電を相手取り損害賠償を求めるという訴訟の大枠は井戸川裁判も共通している。
そのため、最高裁の判決以降、下級審が最高裁に背く判決を出すはずがなく、井戸川一人がいくら頑張ったところで意味がないとみなされている。そして社会が関心を持たない最大の理由は、井戸川が「双葉町長だった自分にしかできない闘い」を貫いた結果、双葉の民だけではなく、支える弁護士たちまでが離反し、文字通り孤立無援に陥っていることにある。
原発事故の発生直後、井戸川は混乱を極めていた国や福島県を見限り、独自につてをたどって埼玉に避難民を導いた。だが、原発の炉心の状態が落ち着いてくると、すぐさま国と福島県は反攻に転じ、「福島復興」の名の下に一方的な政策を繰り出していく。
国は避難指示と連動する東電による賠償の基準である「中間指針」を策定。さらに避難指示の早期解除のため放射性物質で汚染された住宅などの除染を進め、剥ぎ取った汚染土を運び込む中間貯蔵施設を、双葉町に置くことを計画した。
井戸川は避難指示区域の再編、中間指針、中間貯蔵施設といった政府の方針を「受け入れる理由がない」と拒んだが、足元から切り崩された。双葉町議会は2012年12月、町長不信任決議案を全会一致で可決。井戸川は翌年2月、町長辞職に追い込まれたのである。
福島県知事選に出馬、国策の誤りを訴える
それでも井戸川は闘い続けた。
2014年10月には勝つ見込みがないと知りつつ福島県知事選挙に立候補した。選挙の場を借りて国策の誤りと復興の欺瞞を広く伝える狙いだった。井戸川は知事選の告示日、福島県いわき市内の仮設住宅で、部屋から出てこない双葉町民に向けて声を張り上げた。
「皆さんが私に複雑な思いを持っていることはわかっている。だが、権利を踏みにじられて、中間貯蔵施設を押し付けられ、これで納得するほうがおかしい。昔、足尾銅山によって壊された村があった。それと同じことになる。元通りに戻せと叫びましょう」
少し離れた木の下に大きな犬を連れて演説を聴く男性がいた。井戸川と近所の幼なじみで、茨城県内に避難中だという。井戸川をどう思うか尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「中間貯蔵施設なんて、人の要らないものは私たちも要らないんだから。あまりに馬鹿にした話だよね。井戸川さんが言っていることが正しいのはわかってっけど……。まあ、昔から折り合いがつかん人だよね」
井戸川は2015年5月20日、国と東電を相手取り東京地裁に損害賠償訴訟を起こした。提訴後の記者会見の画像が私の元に残されている。
中央に座る井戸川の左には弁護団長の宇都宮健児弁護士(元日本弁護士連合会会長)、右には事務局長の猪股正弁護士。いずれも消費者問題で高名な〝社会派〟の弁護士だ。2人の他にも災害や公害の問題に取り組む気鋭の弁護士たちが参加した。
2015年5月20日の提訴会見。井戸川は1年後、宇都宮健児弁護団長ら代理人弁護士を解任した(撮影:筆者)
ところが約1年後、井戸川は彼らを解任した。この頃すでに各地で起きていた避難者訴訟の定型に当てはめ、双葉町民の集団訴訟を目指す弁護団と対立したのだ。「避難者の集団訴訟になれば、誰もが共有できる被害しか取り上げられず、町長として直面した国策の誤りと復興の欺瞞は争点にならない」。井戸川はそう考えた。
代わって代理人に就いたのは、元検事の古川元晴弁護士たちだった。古川弁護士は2015年に出版された『福島原発、裁かれないでいいのか』(共著)で、東電幹部を不起訴とした古巣の判断に異を唱えた。井戸川はその気概に目を付けた。それから8年が経ち、井戸川は再び弁護団と袂を分かった。弁護団が予見可能性と結果回避義務の議論に傾き、井戸川が町長として経験した事実を元にした書面を取り入れなくなったためだ。
長年取材してきた私から見て、井戸川は決して自分勝手な人ではない。ただ原理原則を曲げていないだけだ。井戸川だけが一切妥協せず、「東電は『事故は起こさない』とだました責任を取れ」「国は被災者を除け者にして勝手に決めるな」と訴え続けている。
加害者が押し付ける「偽り」を一度でも受け入れれば、それは「踏み絵」となって心を縛られ、泣き寝入りに追い込まれるのを知っているからだ。しかし井戸川以外の人間はとっくに受け入れている。
幼なじみの元副町長が証人として出廷
午前10時30分、3人の裁判官が現れて証人尋問が始まった。井戸川に先立ち、元副町長の井上一芳(77)が証言台の前に立った。井戸川と同じ地区出身の幼なじみだ。長く東京や仙台でサラリーマン生活を送った後、家業の農業を継ぐため双葉町に帰り、わずか3年後に原発事故が起きて再び故郷を離れることになった。
埼玉県加須市の廃校となった埼玉県立旧騎西高校に役場と避難所を構えた直後、井戸川から副町長への就任を打診された。井上は「ずっとサラリーマンだった自分に務まるのか」と、とまどったが、巨大な敵と対峙する友を支えるために引き受けた。
井戸川が町長辞職を表明した後、井上は数カ月間、職務代理者として国の要求を受け入れた。その傷は痛みとなり、井戸川のような捨て身の闘いには踏み切れないでいた。
井上は今も加須で避難生活を続けている。一方、自宅は福島県内の除染で発生した汚染土が運び込まれた中間貯蔵施設の用地内に今も残されている。
井上は自宅と土地を国に引き渡さず、住民票も双葉町に残したままだ。
国は中間貯蔵施設で汚染土を保管するのは最長30年間(期限は2045年3月)としているが、元通りになると考えている人はほとんどいない。万が一、元通りになったとしても、井上が帰還するのは年齢的に厳しいだろう。それでも役所から送られてくるアンケートに、井上は必ず「帰還の意思がある」と答えていた。それは井上の意地だった。
東電の代理人弁護士は、井上の複雑な気持ちを踏みにじるように、双葉の復興をアピールし、もはや帰ることのない「旧町民」と印象付ける作戦に出た。
――双葉町の帰還困難区域の一部が特定復興再生拠点区域として避難指示が解除されているのはご存じですか。
「もちろん知っています」
――今の双葉町には新庁舎となった双葉駅もあり、JR常磐線が全線開通しているのもご存じですね。
「ちょっといいですか」
――ご存じかどうか、まずお答えください。
「はい、知っています」
――双葉駅の西側には86戸の公営住宅が完成していますが、あなたの知り合いでこの住宅に戻って暮らしている方はいますか。
「わかりません」
――あなたは副町長だった間、双葉町の復興のあり方にどんな意見をお持ちでしたか。
自由に話せるチャンスと見て、井上は復興の欺瞞を訴えた。
「本来(の避難指示基準である個人の追加被曝線量)は(年間)1ミリシーベルトです。(国が勝手に)20ミリシーベルト(という線を引き)で解除することには反対です。解除されたエリアは(全町域の)15%。先ほど86世帯の駅西住宅が作られたとおっしゃいましたが。(避難指示が)解除されて2年が経っても元々の双葉町民は64人しか戻っていません」
復興とはほど遠い双葉町、井上の思いは届かず
2024年8月1日時点で双葉町内の在住者は135人。このうち原発事故の前からの町民(帰還者)はわずか64人で、残る71人は新たな移住者だ。一方で同町の住民登録者数は5344人に上る。11年に及んだ全町避難の間も、それだけ多くの人が「双葉の民」であり続けた。
だがすでに多くの人は避難先に生活拠点を移している。双葉町は場所と名前だけが同じで、中身の人や家族、コミュニティが入れ替わった〝別物〟だった。
だが井上の懸命の反論を、東電の弁護士は聞き入れなかった。
――「わかりました。最近の報道によると、双葉町にね、国際会議の開催まで可能な地域最大のカンファレンスホテル……」
強引な進め方を見かねて、井戸川が原告席から質問をさえぎった。
「異議あり。本件と関係ありません」
裁判長は関連性を尋ねたが、東電の弁護士から「双葉町の復興の話をしています」と返されると、質問の続行を認めた。
――新しいホテルも双葉町に建設される予定で、人も集まり、企業も投資判断をする現在の双葉町をあなたはどう考えますか?
「私ならやらないでしょう。現地を知っている人間であれば」
――20ミリシーベルトというお話があったのでお伺いします。あなたの陳述書を見ると、本件事故の被曝による健康影響を専門家たちが否定していると書いていますが、あなたの認識としては間違いないですね。
「はい、20ミリ……」
――あっ、結構です。終わります。
東電の弁護士は井上の話を最後まで聞かずに尋問を打ち切った。井上の指す「専門家」とは、国や福島県の意向に沿った見解を述べる研究者、いわゆる御用学者のことで、すべての研究者が被曝による健康被害を否定していると言ったつもりはない。
前提をはしょって、さも井上自身も健康被害を否定しているかのように見せる意図だろう。ただの揚げ足取りで、まともな法廷戦術とは言えない。なぜ、そこまでして泣き寝入りを強いるのか。私は叫び出したいほどの怒りがこみあげてきた。(日野行介)【東洋経済ONLINE】