東京電力福島第1原発事故で群馬県内への避難者が国と東電に損害賠償を求めた「群馬訴訟」で原告代表だった丹治杉江さん(67)=同県伊勢崎市出身=は昨夏、事故前に暮らしていた福島県いわき市に戻った。被災者が経験し続ける「理不尽」と向き合い、原発問題を語り継ぐために。
同県楢葉町で600年余り続く宝鏡寺の境内に作られた「伝言館」。日本の原子力政策や原発事故、さらには原爆被害の悲惨さを伝えるため2021年にオープンした施設だ。私財を投じ設立した寺の前住職の早川篤雄さんは翌年12月に亡くなった。
早川さんは1970年代から反原発の闘争を続けてきた。館内には当時から収集していた原発関連の資料が展示されている。丹治さんは管理する人が不在となったこの施設を引き継ぐために避難先だった前橋市から戻り、事務局長を務めている。早川さんから亡くなる数日前に託された。
「40キロほど離れた、いわきの自宅から車で来ると1700円ほどかかるけど、週3回は来ている。運営は基本的にカンパと持ち出し。でも、ここでは言いたいことが存分に言えるの。私がここのルールブックだから」。丹治さんは笑った。
「勝手に逃げた」と言われ
被災当時の自宅は、原発から34キロの距離にあった。避難指示区域(30キロ圏内)の外。4キロの違いで前橋への避難は「自主避難」とされた。前橋では12年11月から毎週金曜日にJR前橋駅前で脱原発を訴える活動を続けた。時にはこんな罵声を浴びせられた。「風評被害をばらまくな」「いつまで金を欲しがるんだ」
当時をこう振り返る。「悔しくて帰り道に車の中で大泣きした。つらくても活動し続けたのは福島から離れた償いだと思っていた。『群馬訴訟』では国の責任を問えず最高裁で負けたが、それでも前橋で暮らしている時は、気兼ねなく『福島ではこんなことが起きている』と声を大にして言うことができた」
「こんなこと」とは何か――。「避難指示区域とたった4キロの差で勝手に逃げたと言われ続ける」「福島の人だけが他の都道府県の20倍の年間20ミリシーベルトの被ばく線量を受忍しなければならない」。戻った福島は「理不尽」があふれている。
「仮に土壌から通常の廃棄物として処理できる1キログラム当たり8000ベクレルを超える値が検出されたとしても、それを声を大にして言うわけにはいかない。『今、住んでいる場所が偏見や差別の対象になってしまう』。そう言われかねない」。みんな何事もなかったかのように暮らさなければならない窮屈さがある。
それでも声を上げるのをやめるわけにはいかない。福島第1原発にたまる処理水の海洋放出で漁業関係者や市民らが国と東電に放出の差し止めなどを求め、福島地裁に起こした訴訟で事務局長を務める。国や東電は多核種除去設備(ALPS)を使った「処理水」という言葉を使う。
「訴状は『ALPS処理汚染水』と名付けて提出した。処理したからといって汚染物質が完全になくなったわけじゃない。暮らしている人にとって原発事故に続く二重の被害。『処理水じゃない』という考えの人もいるんだよ、ということを知ってほしい。その場として、ここがあると思っている」
前橋にいた時も福島に戻ってからも、口ずさむことができない歌がある。唱歌「ふるさと」。空間放射線量が高いままの帰還困難区域は福島に7市町村ある。除染を集中して進めインフラ整備を行う「特定復興再生拠点区域」(復興拠点)などを設け帰還を促すが、安心して暮らせると言えるのか疑問があるという。
「いつかは帰りたい、山は青く、水は清いふるさと。原発事故前は大好きな歌だった。出身は福島ではないが、結婚してから長年暮らしてきた土地。でも、『いつの日にか帰らん』と思っても放射性物質に汚染され、帰ることができないふるさとがある。だから、聴くだけでつらくなる」。その思いは13年たっても変わらない。【毎日新聞】