福島県双葉町は2024年3月4日で、最初の避難指示解除から丸4年となった。
原発事故による避難自治体の中で最も遅くまちづくりが始まった双葉町。企業誘致が進み、住民の帰還に向けた整備を進める中、住民は新たな課題を感じている。
「3月4日0時になりましたので、双葉町の一部区域の避難指示が解除されました。ゲートを開けてください」
2020年、原発事故から約9年を経て、初めて避難指示の一部が解除された双葉町。JR双葉駅周辺など一部の復興拠点と町の北東部の避難指示解除準備区域で避難指示が解除された。
福島テレビ・安齋遥介記者:「町東側の中野地区は『働く拠点』として整備されてきました。現在は7割から8割ほど埋まっているということで、徐々に町の様子も変わりつつあります」
中野地区では、福島県の内外から18の企業が進出。雇用の創出につながっている。企業立地協定は23件27社。
一方・・・浜野行政区長の高倉伊助さんは「元々この辺は農業だけでも食えて行けるような地域なんですよ。それが一気にこれだけの立派過ぎるというか、立派な都会的な建物というか、それは想像していませんでした」
浜野行政区の区長・高倉伊助さん。現在は双葉町と避難先の須賀川市を行き来し生活している。浜野行政区では約50世帯あった家のほとんどが津波で流され14人が犠牲に・・・。当時の住民は今も戻っていない。町全体でも2024年1月の時点で、町内に住んでいるのは80世帯103人に留まるなど課題も残る。
高倉さんは「これが社標で、(震災で)折れて、下探したんだけど無くて、ここにオブジェ的に置いただけ」と話す。高倉さんが地区で起きたことを忘れないために取り組んでいるのが、被災した神社の再建だ。
福島テレビと福島民報が共同で行った世論調査によると、「震災や原発事故の教訓や記憶について」、合わせて77.6%の人が「風化を感じる」と回答した。変わりゆく町の中で自分たちが住んでいた証を残す。浜野行政区の高倉伊助さんは「(復興って)ゴールが見えないんです。わからないけどもそこで止まってたり、休んでたんでは動かない。皆もどういうことができるのか、単純なことで、少しでも動けば町がそれで存続、残ってくれればなという思いです」と話した。【福島テレビ】