原発事故の惨禍から得た教訓は、かくも軽いものだったのか。「依存を減らす」から「最大限活用」へ。熟議抜きに政策の反転を押し通した政府と国会の多数派の責任は重い。原発が抱える数多くの難題を解決できるのか。後世に禍根を残すことにならないか。今後も問い続けなければならない。
原発推進関連法が今週、国会で成立した。積極活用に向けた国の責務や施策を原子力基本法に明記した。福島第一原発の事故後に導入された運転期間の制限も緩め、一定の要件で60年を超える稼働に道を開いた。
朝日新聞の社説は法案に反対し、再考を求めてきた。原発には、安全性や経済性の問題に加えて、増え続ける「核のゴミ」や核燃料サイクルの行き詰まりといった課題が山積する。その解決の道筋も示さずに、なし崩しに「復権」に転じるのは許されないと考えるからだ。
エネルギー政策全般の見地でも、いまは再生可能エネルギーを主軸に据える変革を急ぐべきときだ。「原発頼み」に戻れば、道を誤りかねない。
進め方も拙速だった。政府は昨年、新方針を数カ月間の限られた議論で決めた。国会は多角的に検討を尽くす責任を負っていたはずだが、議論は深まらなかった。失望を禁じ得ない。
政策転換の理由にされたのはエネルギーの安定供給と脱炭素化への対応だ。では、原発が実際にこれらの役割をどれほど果たせるのか。なぜ原発を「特別扱い」する必要があるのか。政府は正面から答えず、「原子力を含め、あらゆる選択肢の追求が重要」と繰り返した。
内容が多岐にわたる「束ね法案」にされ、具体策の議論も散漫になった。運転期間の上限は、導入時に「安全上のリスクを下げる趣旨」と説明されていたが、今回政府は「安全規制ではなく、利用政策上の判断」と主張した。大きな変更だが、腑(ふ)に落ちる説明はなかった。
結局、根本の問題を含め、数々の疑問が置き去りにされた。この姿勢が続くなら、原発政策が推進一辺倒に硬直化するのは必至だろう。今回の転換は経済産業省の主導で進み、福島の事故を踏まえた政策の根幹である「推進と規制の分離」すら大きく揺らいでいる。
政府は、再稼働や新型炉建設の後押しに乗り出す構えだ。だが少なくとも、安全に関する手続きや経済性の見極めをおろそかにしてはならない。
そして、いくら目を背けようとも、原発の不都合な現実が消えるわけではない。早晩向き合わざるを得ない日が来ることを、政府と法案に賛成した各党は肝に銘じておくべきだ。【朝日新聞】