市民の目線で原発事故や復興を考える「ふくしま復興支援フォーラム」を始め、12年近くになる。開催は210回を超えた。
福島大の学長も務め、人脈は広い。フォーラムには原発事故の避難者や支援団体、自治体の首長、法律の専門家らを講師に招き1時間半、参加者と話し合う。行政の補助金に頼らない。参加者のカンパを元手に、同僚だった元福島大教授らと続けた。
生まれ故郷は、宮城県女川町。2020年11月、町は原発再稼働への地元同意を表明した。「拙速な判断」と感じた。
今年1月のフォーラムは、東北電力女川原発をテーマにした。運転の差し止めを求めた裁判(5月24日判決予定)の原告団長を招き、「不十分」な避難計画について解説してもらった。
実は長年、原発問題について「沈黙」していた。
東北大学に通っていた50年以上前、原発誘致をめぐり町は真っ二つに割れた。放射能の問題を脇におき、反対する漁業者らを懐柔する東北電力や、経済効果ばかりを言う推進派を懐疑的に見ていた。
1967年、町議会は原発誘致を決議した。その中心の一人が、製材業を営みながら、町議を務めた父だった。
「学内でも誘致反対のデモ活動が盛んに起きていたが、参加しにくかった。何せ父は副議長もしていたから」
沈黙を破ったのは、東京電力福島第一原発事故がきっかけだ。福島県飯舘村など4自治体で震災関連死の審査委員を任された。将来を苦にした自殺者や、長期避難がなければ死なずに済んだ人たちの死亡診断書に目を通した。
「原発事故の避難は、遠くへ長い間行かされ、大きな負担が生じる。ただ、対応をとれば関連死で2千人も犠牲にならずに済んだ」
福島事故の教訓を伝えることを「被災地の責任」と考える。復興支援フォーラムの開催の案内は、毎回約1700人にメールで送る。
新型コロナのため20年7月からオンライン形式だ。対面形式のような会場設営は要らず、事務作業は軽減された。一方で「参加者同士の連帯感がなくなった」。
目下、対面形式の再開を模索しながら、事務局役をする後継者を募集中だ。「もともと100回までと思って始めた。今は想定外」と笑う。
【朝日新聞】