東京電力福島第一原発事故で愛媛県内に避難した住民らが国に損害賠償を求めた集団訴訟が16日、最高裁で結審した。最高裁が国の責任を認めるかが焦点だ。原告の一人で、福島県南相馬市から松山市に避難した益山哲雄さん(74)は、避難を強いられた人たちに国の役人が面会して謝罪することが「解決の第一歩」だと話す。
益山さんは元教員。2011年10月、長女が住む松山市に妻(71)と避難して来た。住民票は今も南相馬にある。
最高裁が国の責任を認める判決を出したとしても、気持ちは安らがないだろうと思っている。
「(判決で国の責任が認められたら)私たちにとっては最高だが、たぶん何も変わらない。結局、原発推進じゃないですか」
震災発生直後、勤めていた公民館は原発の周辺から避難してきた住民であふれた。5日後に自身も避難するまで、避難住民の受け入れや移送、食べ物の手配などの仕事に追われた。長時間、戸外にもいた。
2年後、がんを発症。松山市の病院で治療を受け、寛解した。震災から間もない南相馬にいたら、十分な治療を受けられなかったかもしれない。「松山に来て命が助かった」。だが、がんの原因は震災直後に浴びた放射線だと自分では思っている。震災後の数年で、南相馬にとどまった知り合いががんで何人も亡くなった。
南相馬に住んでいた頃は隣近所、同級生、元職場など、それぞれの友人、知人たちとの集まりが頻繁にあった。年中、顔を合わせておしゃべりしていた。そんな日常が失われた。
5年前に亡くなった妻の母は震災時、福島県郡山市の施設で暮らしていた。妻は長い間、「母を置いて避難した」という負い目を感じていた。
南相馬の自宅には定期的に帰っている。地元に残った友人と会うと、子や孫が近くに住んでいることをうらやましがられる。避難先から戻って来るのは年配の人ばかりで、子どもや若い人は戻って来ない。以前は「いつ戻って来るんだ」と言われていたが、最近は言われなくなった。
原発がなくなってほしい。だが、どのような判決が出ても、国が原発をやめることはないだろうと思う。
これまで、国や東京電力の人たちに直接謝ってもらったことはない。避難を余儀なくされた人たちに各地で集まってもらい、役人や社員が頭を下げて謝って欲しい。もし実現すれば「心が少しはやわらぐ」と話す。最高裁の判決がそれを促してほしいと願う。【朝日新聞】