社史「関西電力五十年史」(2002年発刊)はこう記す。「放射線から環境を守る広大な敷地、原子炉を支える強固な地盤、大量の海水が必要」「全面協力の姿勢を示していたことが決め手となった」――。
大手電力初の原発の地として、関西電力は福井県美浜町を選んだ。日本海を望む砂浜に立つと、岩間の先に美浜原発が見える。1970年、大阪万博の会場に「原子の灯」を送ったことで知られる。
福島の原発事故を経た今も、住民の多くは原発を支持する。
「だから、再稼働を進める」
拡大する写真・図版関西電力原子力事業本部前で老朽原発の再稼働に抗議する市民団体=2020年9月28日、福井県美浜町
美浜原発は「国内初」「国内最悪」と呼ばれる事故を2回起こした。
91年、2号機で放射性物質に汚染された1次冷却水が漏れ、原子炉の空だきを防ぐ緊急炉心冷却装置(ECCS)が初めて作動する事故が発生。2004年には、3号機の蒸気が噴出し、11人が死傷する惨劇もあった。
福島の原発事故後、老朽化が進む1号機の建て替え(リプレース)に向けた調査が中断し、定期検査中の1号機に続き、2、3号機も11年に止まった。
当時町長だった山口治太郎さん(78)は11年秋、住民との対話集会に臨んだ。「『(原発を)止めてほしい』という声も出たが、環境問題や電力需給を考えると必要。地域にも役立っている。『だから、再稼働を進める』と言った」
その後、1、2号機は廃炉が決まり、3号機を残すのみとなった。
原発は13年施行の改正原子炉等規制法で運転期間が原則40年とされ、1回に限り最長20年延長できるようになった。原子力規制委員会が40年超運転を認めた老朽原発は国内に4基ある。
原発は心臓。「動けば経済の血が流れる」
福井県の杉本達治知事は今年4月28日、関電の美浜3号機と高浜1、2号機の再稼働に同意を表明。これを受け、関電は美浜3号機を6月下旬に再稼働させると発表し、高浜1、2号機はテロ対策施設の設置期限までに工事が完了しないことを理由に当面見送ると明らかにした。
美浜町が17年度までに得た電源三法交付金などは373億円にのぼる。21年度当初予算案の歳入は固定資産税など原発関連が48%を占め、原発なしには行政、経済は回らない。建設業の八木秀之さん(78)は「原発は町の心臓。動けば町内の隅々に経済の血が流れる」と言う。
賛成派が多数を占める町内にあって、町議の松下照幸さん(73)は異を唱える。20歳の頃、1号機の建設が始まった。「道路が整えられ、学校や公共施設が建ち、近代化していった」
原発は安全――。電力会社の説明は、79年の米スリーマイル島、86年の旧ソ連チェルノブイリの原発事故で不信に変わり、福島の事故で「原発は危険」と確信した。12年、環境エネルギー政策研究所(東京)の飯田哲也所長らと、脱原発に向けたまちづくりの提案書を町に出した。自らも、川が流れる山あいで自然体験施設を運営し、木質バイオ燃料の開発に取り組む。
関電の美浜、高浜、大飯の3原発は使用済み核燃料を保管する貯蔵プールが6~8割ほどたまっている。関電は中間貯蔵施設の候補地の確定を23年に先送りにしたまま、再稼働を進める。
地域の未来、自分たちで決める
関電は青森県むつ市の中間貯蔵施設を候補地の一つに挙げる。しかし、宮下宗一郎市長は反発し、昨年12月、朝日新聞の取材に「地域の未来は、私たちにしか決められない」と述べた。
松下さんは警鐘を鳴らす。「老朽原発を動かし、再び事故が起きたら、地域はどうなるのか。今こそ、考えるときだ」。日本の原発は40年超運転の時代に入ろうとしている。(室矢英樹、佐藤常敬)
関西電力が40年超運転を目指す老朽原発3基をめぐる主な経緯
2011年1月10日 高浜1号機が定期検査で運転停止
5月14日 美浜3号機が定期検査で運転停止
11月25日 高浜2号機が定期検査で運転停止
13年7月8日 原発の運転期間を「原則40年」とする改正法施行
15年4月30日 高浜1、2号機の運転延長を申請
11月26日 美浜3号機の運転延長を申請
16年6月20日 原子力規制委員会が高浜1、2号機の運転延長を初認可
11月16日 美浜3号機の運転延長も認可
21年2月1日 福井県高浜町の野瀬豊町長が高浜1、2号機の再稼働同意
12日 森本孝社長が福井県の杉本達治知事に中間貯蔵施設について報告
15日 福井県美浜町の戸嶋秀樹町長が美浜3号機の再稼働同意
16日 杉本知事が県議会に再稼働議論を要請
3月12日 県議会最大会派の県会自民党が再稼働の判断見送り
4月6日 経済産業省が福井県に40年超運転で1原発最大25億円の交付を説明
28日 杉本知事が老朽原発3基の再稼働に同意
5月12日 関電が6月下旬の美浜3号機再稼働を発表