茨城県大洗町磯浜町の食堂「かあちゃんの店」が9日、2カ月半ぶりに営業を再開した。栃木県から訪れた団体職員、鈴木満さん(48)夫妻は「ずっと来たくて、ホームページをチェックしていた」と列に並んだ。新型コロナウイルスへの警戒から店を閉めていた。
自分の身は自ら守る「コロナも同じ」
調理も接客もするのは魚を知り尽くした漁師の妻たちだ。代表の加藤左枝さん(63)は「長い休み明け。体が付いてくるかなあ」と花丸の笑顔を見せた。
2010年、大洗町漁協の直営店として、市場の前にあった倉庫を改築して開業した。新鮮さと手ごろな価格が評判で、町で1、2を争う観光名所に成長。年間の売上高は約1億4000万円に達していた。
しかし翌年、津波が襲った。町総面積の約1割に当たる200ヘクタールが浸水し、約1700軒の建物が被災。船は夫剛さん(69)が沖出しして難を逃れたが、惨状を目の当たりにした加藤さんの脳裏をよぎったのは「漁は再開できるか、船の借金は返せるか」という不安だった。
被害を受けた水産施設は沿岸全域に及ぶ。鹿嶋市の栽培漁業センターも液状化で被災。アワビやヒラメを採卵して育成し、海に戻して漁業資源の維持を図る施設だった。
2年後の13年に復旧したが、稚魚や稚貝は捕獲可能サイズに成長するまで数年かかる。1キロ7000円前後で取引されるアワビの県内の漁獲量は、県水産試験場によると、震災前の20~30トンから16年は3・5トンにまで落ち込んだ。
それでも漁業者は、歯を食いしばった。あの日、町の防災無線が繰り返し叫んでいた。「緊急命令。大至急、高台に避難せよ!」。自分の身は自ら守る。その心構えが骨身に染みていた。
「コロナも同じ」と加藤さんは話す。店は昨年末来、県の方針決定を待たずに営業自粛を続けてきた。再開後も当面は時短を貫き、最も混雑する日曜日は休業する方針だ。
「海は男仕事だが、ハマ(港)は女性」と漁協幹部は言う。岸壁から魚を市場へ運ぶ作業は、数人掛かりの「密」で行う妻たちの持ち場。「店で誰かが感染したなら検査で船も止まる。そこで陽性者が出れば、家族ぐるみで成り立つ町の漁業は終わりかねない」
手立て講じられない処理水
自ら手立てを講じられないのが、来夏に限界を迎えるとされる東京電力福島第1原発の処理水の保管能力問題だ。
放射性物質のうち、セシウムなどは取り除いても、トリチウムは技術的に除去できない。「国は海洋放出するのでは」。そんな疑念が募る中、6日に福島県入りした菅義偉首相は明言を避けた。
トリチウムは自然界にも存在しており雨水や水道水の中にも微量に含まれる。国内外の原子力施設も震災以前から、それぞれの基準に従い、薄めて大気や海中に放出してきた。
しかし科学的に安全とされる数値と、消費者の安心感とでは尺度が違う。特に福島県に近い県北の漁師や水産加工業らにとっては、震災後の経験は今もトラウマとなっている。
「また風評被害なら俺たちは飯を食っていけない」と久慈町漁協(日立市)の木村勲組合長(76)らは嘆く。大井川和彦知事は国に善処を求める中、漁業者は最終判断を待ち構えている。【毎日新聞】