原子力政策を一度ただすべき
格納容器内の水位と気圧の低下、そして地震計の故障放置――。
2月13日夜に東北地方を襲った強い地震は、40年かかるとされる東京電力・福島第一原子力発電所の「廃炉」作業を続けることのリスクを改めて浮き彫りにした。「廃炉」は、同原発の設備を解体・撤去のうえ除染して事故前の状態に戻し、人々の故郷への帰還を可能にするという触れ込みだ。
短期間でリスクを大幅に低減できる「石棺」化や「水棺」化の方が安全かつ経済的で現実的だという専門家たちの声を無視する形で、政府・東電が原状回復は可能だと言い張るために断行した国家プロジェクトである。
原子力の分野では、他にも難問が山積みだ。使用済み核燃料の処分地捜しは緒に着いたばかりだし、目玉の高速増殖炉もんじゅの廃炉が決まったにもかかわらず、実現性に疑問符が付く核燃料サイクル計画全体の見直しはほとんど進んでいない。
その一方で、再び原子力を日本のエネルギーの中心に据えようという議論が勢い付いている。ゼロカーボン発電として、原発の再稼働の加速や新設・増設の容認を求める声が経済界から噴出しているのである。
人類史上最悪の原子力事故となった福島第一原子発事故の教訓は、いったい何だったのか。3月11日は、あれから10年の節目にあたる。今一度、原子力政策をただすべき時ではないだろうか。
福島、宮城両県の一部で最大震度6強を記録した地震から一夜明けた先月14日、原子力規制委員会は、廃炉作業中の東電・福島第一原発の5、6号機と廃炉が決まっている福島第二原発の1号機で、使用済み核燃料の貯蔵プールから水が溢れ出したと発表した。東電は、漏れた水はわずかで、いずれもセキの中にとどまっており、外部への影響はないとしていた。
が、廃炉作業下の福島第一原発が依然として不安定な状態にあることを浮き彫りにするトラブルは続いた。
ずさんな廃炉作業の実態が露呈した
最初は先月19日。東電が1、3号機の原子炉格納容器の水位が低下していると発表した。13日の地震により、格納容器の損傷部分が拡大、原子炉建屋内に漏れ出る水量が増えたらしいというのだ。
同社は、原子炉への注水は継続しており、格納容器の底に溜まっているデブリ(溶融核燃料)の冷却には問題がないとしたものの、同社自身が認めているように格納容器の損傷が拡大して漏れ出る水量が増えた可能性がある以上、楽観はできない。
水位が低下を続けると、デブリが露出してデブリから発生する塵が外部に漏れ出てくる可能性や、格納容器内の圧力低下によって汚染されたガスが拡散するといった深刻な懸念があるからだ。
放射線レベルが高く人が近寄れないため、予防策と言っても注水を続ける以外はなく、汚染水を増やすリスクもある。
筆者の取材に、長崎大学の鈴木達治郎教授(元原子力委員会委員長代理)も「余震がまだ起きる可能性もあり、水位の低下の影響は憂慮すべき状況。東京電力は詳細な状況把握とその対処方法を早急にかつ正確に公表すべきだ」と指摘する。
次いで、先月21日の朝、1号機の原子炉格納容器の圧力が低下していることが判明。翌22日の朝には、周囲の気圧と同程度まで下がり低下が止まったという。やはり13日夜の地震によって10年前の事故で損傷した部分が何らかの影響を受けて、気体が外に漏れていると、東電はみていた。
そして、開いた口が塞がらない話が、2月22日に開かれた原子力規制委員会の会合で発覚した、3号機で昨年3月に設置した地震計が2台とも故障しており、取得できたはずの貴重な震度データを取得できなかったというのである。東電は故障を知りながら交換していなかったという。
福島第一原発での東電の杜撰な「廃炉」作業を見るにつけ、チェルノブイリ発電所事故で「石棺」化という封じ込め策を採用した旧ソ連の判断にはそれなりの合理性があったと改めて思い知らされる。
今なお、安全対策に鈍感な東電
東電の不祥事は、同社が再稼働を目指す柏崎刈羽原発(新潟県)でも続発している。
今年1月23日には、東電社員が昨年9月に他の社員のIDカードを使って同原発の中枢である中央制御室に入室していたことが発覚した。
4日後の1月27日には、7号機の安全対策工事の不備が露呈した。その2週間前に工事完了を発表したにもかかわらず、7号機と6号機の共用部分で工事を終えていなかったのである。
東電ホールディングスの小早川智明社長が2月10日、国会で陳謝したものの、その5日後に、またまた別の工事で不備が見つかった。10年前の大事故にもかかわらず、東電はその教訓を活かせておらず、今なお安全確保に鈍感なようだ。
福島第一原発事故以前、国内では50を超える原発が稼働していた。事故後、再稼働に漕ぎ着けたのはわずか9基で、いずれも西日本に立地する。
東日本大震災を踏まえた安全対策を講じて、原子力規制委員会の審査をパスし、地元の同意を得られれば、東日本の原発も当然、再稼働を認められるべきである。
例えば、再稼働準備が進んでいる東北電力の女川原発は、10年前も今回も東電のようなトラブルを起こしていない。安全対策工事の完了まで1~2年は必要とみられるが、この原発は東日本の再稼働のトップバッター候補と言えるだろう。
最終処分場の問題も喫緊の課題
また、福島第一原発事故以前に着工し、現在建設中のJパワー(電源開発)の大間原発(青森県)は、昭和50年代から国策に沿って巨費を投じて建設されてきた経緯がある。
完成して安全が確認されれば、稼働させるべき原発だろう。そうした経緯を無視して、稼働を認めないのならば、国に損害賠償責任が生じるはずだ。
女川や大間の原発は、気候変動対策を進めるためにも、活用していくべき原発と区分して良いとみられる。
しかし、東電は10年前の大事故の当事者だ。前述の福島第一原発や柏崎刈羽原発の状況をみて、高度な安全哲学の保持を求められる原子力事業者の資質があると言えるだろうか。国策救済によって、杜撰な社風を温存したことは大失敗だ。
次に、国を挙げて急がなければならないのが、高レベル放射性廃棄物の最終処分場の早期確定だ。北海道の寿都町と神恵内村の2カ所が名乗りをあげて、3段階あるステップの最初の「文献調査」が昨年暮れに始まったものの、紆余曲折が予想される。
使用済み核燃料の中間貯蔵も、喫緊の課題だ。大手電力10社が加盟する電気事業連合会が昨年12月、東電ホールディングスと日本原子力発電が出資して建設してきた「リサイクル燃料貯蔵」の施設を他社も利用する案を梶山弘志経済産業大臣に示したものの、地元むつ市との交渉は難航しそうだ。
「第二の福島」が発生しないために
さらに、原子力規制委員会は昨年暮れ、使用済み核燃料を再利用する核燃料サイクル政策の一環として、日本原燃のウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料工場(青森県六ケ所村)の安全審査に合格を出したが、MOX燃料で発電できる原発は現状で4基しかなく、需要が乏しい。将来像に疑問符が付いたままと言わざるを得ない。
ところが、経済界は電力コスト優先で、東電や原子力政策の問題に無頓着だ。鉄鋼など製造業を中心に、太陽光発電、風力発電といった再生可能エネルギーの発電コストは欧米に比べて割高と見て、原子力で発電した廉価な電気を確保、輸出競争力維持に繋げたいとの思いを募らせている。加えて、公共事業欲しさもあるのだろう。
その結果、原発の再稼働や新設・増設を声高に求めている。今年夏にも改訂される次期エネルギー基本計画でも、原発の積極的利用が不可欠というのが経済団体の主張だ。
2月23日に開かれた経済産業省の総合資源エネルギー調査会の分科会では、経団連が「原発の新設・増設を明記すべきだ」と主張、日本商工会議所も「原発の再稼働で政府が前面に立つべきだ」と足並みを揃えた。
だが、安全性を無視して闇雲に原子力活用を求める姿勢は、持続可能な経済社会を築くうえで、あまりにも無責任だ。第二の福島第一原発事故の発生リスクを取り除くことこそ、日本企業の経営者が真摯に取り組むべき命題のはずである。
町田 徹(経済ジャーナリスト)
【マネー現代】