福島第1原子力発電所の大事故を起こしたあとも電力業界の「長男」として永田町や霞が関に隠然たる影響力を及ぼす東京電力が、次男格である関西電力に唯一、脱帽するのが黒部川第4発電所(=黒四、富山県黒部市)の建設物語だ。1956年に着工し、63年の完成までに171人もの殉職者を出す難工事をやり遂げた。関電社員は新人研修で必ず黒四の歴史を学び、電源開発に命をかけた先輩たちの魂を受け継ぐ。
黒四の最難関はダム建設の資材輸送路となる「大町トンネル」の掘削工事だった。破砕帯にぶつかり、1分間にドラム缶240本分もの地下水が噴き出した。1平方センチあたり42キロの水圧で噴出するセ氏4度の冷水は、分厚い防水かっぱを着た屈強な作業員を吹き飛ばし、体力を奪った。一向に進まぬトンネル掘削に「関電、経営危機に直面」という報道が流れた。
着工を決断した関電初代社長の太田垣士郎は幹部に「黒四の戦士たちをどうか励まし、勇気づけてやってもらいたい」と語った。大阪北支店長の和田昌博は危機突破の運動を提案、「黒四に手を貸そう」というスローガンが生まれた。「1枚の紙、1本のエンピツを節約しよう。それが黒四に手を貸すことになる」と書いたポスターが張り出され、社内は一丸となった。
太田垣は大町トンネルの現場を訪れ、最先端部の切り羽に向かうと、工事を指揮する熊谷組笹島班の班長、笹島信義(後の笹島建設会長)に「掘れるかね」と尋ねた。危険な現場から早く出てほしかった笹島は「何とかなるでしょう」と答えた。
数日後、笹島に太田垣から1枚の絵はがきが届いた。「昨日は大変失礼しました。大変な難工事だと思いましたが、皆様方の元気な顔を見て安心しました。日本土木の名誉にかけて頑張って下さい」とあった。
笹島が食堂に作業員を集め、文面を読みあげると笹島班は奮いたった。新たに水抜き用のトンネル10本とボーリング124本を掘り、岩盤を固める薬液を注入した。一連の対策と井戸水さえ凍る北アルプスの厳冬で地下水は減少し、58年2月25日、ついに大町トンネルは貫通した。約80メートルの破砕帯突破に216日を要した。この苦闘を題材にした映画「黒部の太陽」は大ヒットした。
出力33万5000キロワットの黒四は高度成長期の電力需要にこたえ、関電の経営も安定軌道に向かった。電源開発に心血を注ぐ関電の創業精神は黒四によって培われた。
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63年に和歌山県白浜で開催された「第1回関西財界セミナー」で講演した太田垣は、破砕帯突破までの約7カ月が「生涯を通じて一番苦しかった時期」と打ち明けた。続けて「(大町トンネルの設計変更を許さず)この考えを貫いたことがよかった」と言い切った。
演題は「経営者の根性」だった。「経営者が10割の自信をもって取りかかる事業、そんなものは仕事のうちに入らない。7割成功の見通しがあれば勇断をもって実行する」が持論の太田垣ならではのテーマ設定だった。
太田垣から薫陶を受けた小林庄一郎が会長だった91年、関電の美浜原子力発電所(福井県美浜町)2号機で蒸気発生器の細管が破断し、日本の原発で初めて緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動する重大事故が起こった。原因はメーカーである三菱重工業の施工不良だったが、小林は「三菱重工のせいにするな」と言い、電源開発を担う関電の責任で事後処理に当たった。
「事故の記憶が風化するのを防ぎ、将来の戒めとする」と述べ、94年に美浜原発内に「蒸気発生器展示館」を開設した。蒸気発生器だけでなく、事故を報じる記事を焼きつけた信楽焼の陶板も展示した。「自分の目で見ないと人間は忘れてしまう。紙に書いた文字は消えるが、陶板の寿命は1000年以上ある」と小林は語った。
だが、「負の遺産」の記憶は時の経過とともに風化していた。2004年、美浜原発3号機で運転開始から27年以上も放置していた配管が破裂し、噴出した高温の蒸気で5人が亡くなる重大事故が再び発生した。2号機の戒めは生かされなかったのだ。社長の藤洋作は05年に引責辞任したが、会長の秋山喜久は1年間留任すると発表して批判を浴びた。
米国に本部を置く電気・電子技術の学会「IEEE」は10年に黒四の歴史的な偉業をたたえ、マイルストーン(道標)賞に認定した。藤の後任社長の森詳介は授賞式で「環境への影響が小さい水力発電などを進めるうえで、何よりの励みになる」と述べたが、尊い犠牲をはらった171人の殉職者には言及しなかった。
「黒部の太陽」は08年に中村獅童の主演で舞台になった。初演の直前になって太田垣のセリフが問題になった。「7割成功の見通しがあれば」と言うべき箇所を、脚本家が「5割成功の見通しがあれば」と書き換えていたからだ。成功率5割だと、経営判断ではなくギャンブルだ。関電以外から出た指摘で修正は間に合ったが、関電はあらかじめ台本に目を通しておらず、気づいていなかった。
黒四の魂は形骸化していた。今年9月、会長だった八木誠や社長の岩根茂樹ら幹部が、高浜原子力発電所の立地する福井県高浜町の元助役から計3億2000万円もの金品を受領していたことが発覚した。太田垣が打ち立てた「経営者の根性」はいつの間にか朽ち、電源開発に心血を注ぐ「創業精神」もまた雲散霧消してしまったのではないか。
(編集委員 竹田忍)【日本経済新聞】