日米原子力協定により日本に核燃料サイクル政策を認める米国は当時の民主党政権の「原発ゼロ」に強く反発した。青森県に続き米国の同意も得られず、民主党政権の掲げる方針は形がい化していく。
「脱原発を目指すなら、核燃料サイクルから撤退することだ」。2012年9月12日、ワシントンで開かれた日米の原子力に関する会合。ホワイトハウスの幹部らは向かい合う大串博志内閣府政務官と長島昭久首相補佐官(いずれも当時)にこう迫った。
米国は民主党政権が策定していた革新的エネルギー・環境戦略でサイクル政策を維持する矛盾を追及した
米国は民主党政権が策定していた革新的エネルギー・環境戦略でサイクル政策を維持する矛盾を追及した
2人は政府・民主党がまとめていた30年代に原発依存度をゼロとする一方で、核燃サイクルは継続する方針について2日間の日程で米側に説明に訪れていた。同月中に閣議決定する予定だった。
しかし米側の担当者は語気を強めて言った。「プルトニウムを作り続けることは容認できない」。米国が強く警戒していたのは核不拡散上の問題だ。原発ゼロを目指すのに、使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出すサイクル政策が残ると、日本に核兵器への転用が可能なプルトニウムがたまり続けることになる。
日本は非核保有国として唯一、再処理を実施している。それは日米原子力協定という米国のお墨付きによるものだ。そのため日本はサイクル政策を見直す場合は当然、米国との協議が必要条件となる。政権幹部が訪米したものの、説得は難航した。
また再処理事業の縮小や廃止は青森県から同意は得ていなかった。逆に海外からの高レベル放射性廃棄物の持ち込み拒否を通告され、民主党政権は再処理事業は堅持する方針を訪米直前に決めていた。米側はその矛盾を追及した形だ。
日本側は「現在ある原発は安全性を確認後、順次再稼働していくことも明記している」と説明した上で、再稼働した原発で着実にプルトニウムを消費していくと主張した。だが、米側は「イランや北朝鮮に核不拡散を迫っている手前、整合性を欠く」と取り合わなかった。
米国はもう一つ重要なことも付け加えた。「米国の原子力産業はほとんどが日米合弁となっている。米国の技術も衰退する懸念が生まれる」
米国では1979年のスリーマイル島の事故や電力自由化で、原子力に逆風が吹き、産業が衰退した。原発のパイオニアだったゼネラル・エレクトリック(GE)は日立製作所、ウエスチングハウス(WH)は東芝という日本企業と組むことで、経営を維持してきた。日本が脱原発を進めれば米国が原子力分野で技術力を失う懸念があった。
資源エネルギー庁長官経験者は「米国が日本に再処理という特権を認めているのは、原子力の技術維持・開発を肩代わりさせるという意図もある」と分析する。会合では米側の主張はさらに続いた。「原発から撤退すれば、その分は石油や天然ガスで賄うことになる。中東で資源獲得競争が激しくなるのではないか」。
日本側はこれ以上反論することはせず、米側の主張を帰国前、官邸に電話で急報することとした。米国が一方的に日本の核燃サイクル政策に注文をつける過程は、18年に日米原子力協定を延長した際と同じ構図だった。
結局民主党政権は9月中旬までの米政府との調整を経て、原発ゼロを盛り込んだ新戦略を参考文書の扱いとし、閣議決定は見送ることにした。12年末の総選挙で誕生した自民党政権は改めて原発の維持へ方針転換したが、この流れは政権交代前から米国が方向付けしていたとも言える。【日本経済新聞】