東京電力福島第1原子力発電所事故で放出された放射性物質はどこにどれだけ流れたのか。大学などの研究者による分析でより詳しい状況が明らかになってきた。これまでの推定より放射性ヨウ素の濃度が高いプルーム(放射性物質を含んだ大気)の存在を示すデータも見つかった。住民の被曝をより正確に推定するうえで重要な手がかりとなる。
「こうした試料があることに驚くとともに、提供された福島県に感謝したい」と、リモート・センシング技術センターの鶴田治雄・特任首席研究員は話す。
その試料とは、福島県内の2つの大気汚染観測局で大気中の微粒子を連続的に捕集したテープ状のフィルター(ろ紙)だ。福島第1原発事故が起きた2011年3月、双葉町(原発の北西3.2キロメートル)と楢葉町(南17.5キロ)の2カ所の観測局は災害のさなかにもかかわらず、正常に動いており放射性物質を含む微粒子をしっかりとらえていた。
原発に近い双葉では、3月12日の午前9時に放射性セシウムの最初のピークが見つかった。これは1号機で格納容器内のガスを抜く「ベント」が実施される前のことだ。12日午前における放射性セシウムの検出は初めてではない。福島県が緊急に実施したモニタリングによって原発近傍で放射性セシウムなどがすでに観測されている。今回の発見は、ベント前に格納容器のどこかから放射性物質が漏れ出て居住区域にまで達していたことを改めて裏付けるものといえる。濃度は1立方メートルあたり55.7ベクレルと比較的低い。
濃度が最大になるのはベント後の午後3時ころ。1立方メートルあたり1万3600ベクレル。双葉町上羽鳥(原発の北西5.6キロ)にある福島県のモニタリングポストで、12日午後に高い空間放射線を観測していたことは早くから知られている。新たなデータはこれを定量的に再確認したものと位置づけられる。
一方、南側の楢葉で最初にピークが見つかるのは15日午前1時。それまで北寄りの風が吹かなかったため、このときが原発の南方に放射性セシウムを含むプルームが流れた最初のタイミングだと考えられる。最大ピークは午前3時台の1立方メートルあたり8300ベクレル。このプルームが、15日午前に茨城県や東京都などで観測されたプルームの始まりだと推定される。
こうした埋もれたデータを明らかにすることは「住民の被曝リスクを明らかにするうえで重要である」と鶴田氏はみる。とりわけ12日は住民の避難が進行中だったことを考えるとデータの持つ意味は重い。
鶴田氏もメンバーである学際的な研究チーム(代表は森口祐一東京大学教授)は、東北や関東地方にある約400地点の大気汚染観測局の試料について各自治体から提供を受け、フィルターにとらえられた放射性セシウムの分析を首都大学東京の研究者らとともに続けてきた。
2017年度までに約100地点について、11年3月12日~23日の大気中の放射性セシウム濃度を1時間ごとに推定し、当時の風向・風速などからこの時期に発生したプルームの全体像を明らかにしようとしてきた。双葉、楢葉の2地点の試料も一連の調査の中で提供、分析されたもので、従来の推測の穴を埋めるミッシングピースだったといえる。
雨や雪で地上に落ちた放射性物質の広がりは航空機によるモニタリングや地上での計測でかなりとらえられている。しかし大気中を漂って拡散していった放射性物質については、原発周辺のモニタリングポストや関東地方にある研究機関などによる限られたデータしかなかった。大気中を飛散していた放射性物質の濃度は、初期段階での被曝の大きさを推定するうえで極めて重要だ。その点で、本来は粉じんなど大気汚染物質の計測のために設置されていた多数の観測局が偶然にとらえていた放射性物質のデータは貴重なものだといえる。
研究チームは、陸上で観測されたプルームが19個あったと報告、このうち比較的高い被曝をもたらした可能性があるものとして9つをリストアップしている。ただ森口教授は「9つが同等に高い被曝リスクがあったとはみていない。不確実性が高く今後も丹念に調べなければならない『宿題』だととらえている」と話す。とくに注意が必要なのは、避難完了前に居住地区に到達していたものや放射性ヨウ素を多く含んでいた可能性が高いと考えられるプルームだ。
ヨウ素は呼吸で取り込むと甲状腺に集まって発がんリスクを高める。問題となるのはヨウ素131だが、ヨウ素131は半減期が8日で減っていくため、時間がたつとどこにどれだけあったのかがわからなくなる。
研究チームは同じヨウ素でも、半減期が約1570万年と寿命が長いヨウ素129の微粒子が大気汚染観測局のフィルターに残っているのに着目、その量から事故初期のヨウ素131の量を推定する手法を見いだした。推定の精度がまだ十分とはいえないが、森口教授は「初期のヨウ素131の広がりをより詳しく知る新たな手がかりになる」とみている。
新しい手法によって、例えば12日に原発北側に広がったプルームはヨウ素の割合がこれまでの推定に比べ格段に大きかった可能性が浮かび上がった。
また21日の朝から午後にかけて南方に流れたプルームも高い濃度の放射性ヨウ素を含んでいた可能性がある。21日ごろには放射性物質の大きな放出があったことはすでに知られている。原発の注水状況に変化が生じたためだとみられるが、そのころに出たプルームの中には想定よりヨウ素が多いものがあったというわけだ。
大気汚染観測局の記録を活用した解析は、放射性物質の拡散状況を知る上で大きな前進をもたらした。ただ依然として様々な不確実性が伴う。ひとつはフィルターで捕集できるのは固体の微粒子だけで、気体状の放射性物質はとらえられていない。
さらに健康への影響となると、プルーム通過時に人がどこにいたのかが評価を左右する。現状ではプルームが到達した地域にいた人々のリスク評価を大きく見直すような結果はみえていない。
今後もリストアップされたプルームを詳しく調べ、より正確なリスクの把握に努めていく必要があるだろう。【日本経済新聞】