2038年までに脱石炭を断行へ
ドイツ連邦政府の諮問委員会は2019年1月26日、最終報告書の中で遅くとも2038年末までに褐炭・石炭による火力発電所を全廃すべきだと提言した。この国の褐炭・石炭火力発電所の設備容量は2017年末の時点で42.7ギガワット(GW)だった。これを、2022年までに12.7GW減らして30GWにする。これは褐炭・石炭発電施設24基の停止に相当する。その後15年間をかけて、容量をゼロにする。
2032年の時点で電力市場や雇用への悪影響が少ないと判断されれば、2035年に前倒しして、褐炭・石炭火力発電所を完全に停止させる。
学界、地方自治体、産業界、電力業界、環境団体、労働組合の代表からなる28人の委員たちは、21時間に及ぶ徹夜の協議の結果、1人を除いて全員がこの方針に賛成した。メルケル政権は、諮問委員会の提言をそのまま実行するものと見られている。
この提言は産業界と環境団体の妥協の産物だ。委員会に属していた緑の党や環境団体の関係者は、2030年に脱石炭を実現すべきだと主張していた。これに対し、産業界と電力業界は経済や雇用への悪影響を最小限にするために、脱石炭は2040年以降にするよう求めていた。
本来ドイツはこの提言を、昨年暮れにポーランドのカトヴィツェビッツで行われた国連の地球温暖化防止に関する会議の前に発表する予定だった。発表が今年までずれこんだことは、委員会のメンバーたちの間で意見が対立したことを物語っている。実際、環境団体は最終報告書の採択後も「2038年では遅すぎる」と不満を表明している。他方、大手電力会社RWEは「2038年の脱石炭は早過ぎる」と批判している。
ドイツの褐炭・石炭依存度は高かった
産業界と電力業界が抵抗した理由の一つは、褐炭・石炭への依存度の高さだ。褐炭は露天掘りが可能で、調達コストがドイツで最も低いエネルギー源だ。第2次世界大戦後のドイツの経済発展は、褐炭・石炭に大きく依存して進められてきた。1990年には、褐炭・石炭の発電比率は56.7%に達していた。
この比率は過去29年間で大幅に下がったが、2018年末の時点でも35.4%で、同国の電源の中で最も高い。褐炭で作られた電力は値段が割安で、製造業など大口需要家にとっては大きな意味を持っている。2022年末へ向けて原発が次々に停止させられる中、褐炭と石炭は産業界向けの安定した電源として重要な役割を担っている。環境団体WWFは、「ドイツの2017年の褐炭採掘量は1億7130万トンで世界で最も多かった」と指摘している。
さらに、褐炭採掘地の雇用の問題もある。旧西ドイツのルール工業地帯や、旧東ドイツのザクセン州などでは、約6万人の労働者が褐炭の採掘や発電事業に携わっている。脱石炭を性急に進めると、これらの地域で多くの市民が路頭に迷う危険がある。
だが褐炭が排出する二酸化炭素(CO2)の量は、天然ガスなどよりも多い。この結果、ドイツが2016年に排出した温暖化ガスは9億900万トンと、EU加盟国の中で最も多かった。これはEUで2番目に多い英国の排出量を88%も上回る数字だ。しかも排出量は前年比で0.3%増えている。
メルケル政権はもともと、温暖化ガスの排出量を2020年までに1990年比で40%減らす目標を掲げていた。だが原子炉が次々と停止される中、電力会社が老朽化した褐炭火力発電所をフル稼働させたために、2015年と2016年には温暖化ガスの排出量が増えてしまった。この結果、2020年の削減幅は38%前後にとどまり、40%という削減目標は達成できないことが確実になっている。地球温暖化防止に関するパリ協定を重視するドイツ政府としては、不面目な結果である。
ドイツは褐炭・石炭への依存度が高いため、脱石炭の期限を発表するのが他国に比べて遅れた。フランス政府が2017年11月に「2021年末までに石炭の使用をやめる」と宣言したほか、英国政府も昨年1月に2025年までの脱石炭を完了する方針を打ち出している。
その最大の理由は、原子力政策の違いにある。フランスと英国は将来も原子力によって石炭を代替できるのに対し、ドイツは原発を2022年末までに全廃しなくてはならない。同国の再生可能エネルギーの発電比率は、まだ35%にとどまっている。
地球温暖化防止に関する市民の関心の高まり
だがドイツでは昨年から市民の間で地球温暖化と気候変動についての関心が急激に高まっている。
この国の平均気温は昨年、19世紀に気象観測が始まって以来最高の水準に達した。4月の復活祭の休日には、すでに初夏のような気温となった。8月には、私が住むミュンヘンでも南イタリアのような暑さを感じた。日本と異なり、ドイツの大半の住宅やオフィスには冷房がない。あるドイツ人は毎年家族とともにイタリアの海岸へ行ってバカンスを楽しむが、昨年は余りにも暑さが厳しかったため、バカンスを中断してドイツに戻ってしまった。
昨年の国土1平方キロメートル当たりの降雨量も、130リットルと通常の年の54%にとどまった。このためライン川など主要河川の水位が下がり、原油を運ぶタンカーの航行に一時的に支障が生じ、輸送費が上昇した。ガソリンなど自動車燃料の価格が高騰する「ミニ石油危機」を引き起こした。
また水不足のために深刻な干ばつが発生し、農作物の被害額は約30億ユーロ(約3900億円)に達した。このため連邦政府と州政府は、農家に対する緊急支援措置として援助金を供与せざるを得なかった。
高校生が始めた「たった1人の反乱」
ドイツでは今年、地球温暖化への抜本的な対策を要求する市民の抗議行動が初めて起きた。毎週金曜日には、学生たちが授業をボイコットして、政府の無策に抗議するデモを行うようになった。スウェーデンの高校生グレタ・トゥーンベリさん(16歳)が始めた授業ボイコットがドイツにも飛び火したのだ。彼女が昨年8月、ストックホルムの議会の建物の前に独りで座り込んで始めた抗議運動「気候を守るための若者のストライキ」は、瞬く間に世界中に広がった。
グレタさんが今年3月1日にハンブルクの金曜ストに参加した時には、1万人の市民が集まった。3月15日に初めて世界規模で行われた金曜ストには欧州、アジア、米国など約120カ国でおよそ160万人の生徒らが参加した。グレタさんは今年1月にスイス・ダボスの世界経済フォーラムで演説したほか、2月にEUのユンケル委員長と会談した。彼女は3月、ノルウェーの国会議員たちからノーベル平和賞候補に推薦された。
グレタさんは飛行機に絶対に乗らない。ダボス会議に大企業の社長たちがプライベートジェットで到着する中、グレタさんはスウェーデンから電車で32時間かけてスイスにやって来た。
グレタさんは8歳の時に初めて地球温暖化について知り、強い不安に襲われた。学校で見た映画の中で、寒冷地の氷が溶けて白熊の生息圏が脅かされていると聞いた時には、泣き続けた。グレタさんは特定の物事が心から離れなくなり、考え続ける性格だ(アスペルガー症候群と診断されたことを自ら公表している)。初めは電気を節約するために家中の電灯を消したり、コンセントから電気製品のコードを抜いたりした。両親もグレタさんに求められて、肉を食べるのをやめ、飛行機に乗らないようになった。
眉間にしわを寄せ、険しい表情で語るグレタさんの演説には、外交辞令や忖度(そんたく)がない。強い危機感と信念に基づく言葉は、聴く者の胸を刺す。
「30年前から学者たちが地球温暖化について議論してきたのに、誰も真剣に二酸化炭素を減らそうとしていません。私は昨年の夏に我慢ができなくなり、独りでストライキを始めました。大人たちからは学校へ行きなさいと言われました。しかし私は『未来はもう失われているかもしれないのに、なぜ学校で勉強しなくてはならないの? 科学者たちの研究や主張が政治家たちに無視されている中、なぜ学校で勉強する意味があるの?』と思いました」
「私が2078年に75歳になった時、子どもや孫たちから『なぜ21世紀の初めに何も行動を起こさなかったの?』と問い詰められるのはいやです」
今年3月にミュンヘンで行われた安全保障会議でグレタさんは、2030年までに温暖化ガスを少なくとも80%減らすことを要求。居並ぶ各国首脳や外務大臣たちに「これができなければ、皆さんは史上最悪の悪人として歴史に残ります」と言い放った。
政府・政党が抗議デモに一定の理解
一部の国の政府の文部大臣らは授業ボイコットを批判したが、ドイツのアンゲラ・メルケル首相らは「若者が気候変動防止のために行動するのは良いことだ」と金曜ストに肯定的な姿勢を示した。またメルケル首相が率いるキリスト教民主同盟(CDU)などドイツの多くの政党は、金曜ストを行う生徒たちとディスカッションする場を持ち、彼らの主張を政策に反映する姿勢を打ち出している。
もしも日本でこのような授業ボイコットが定期的に起きたら、文部科学省が禁止に踏み切るだろう。だが欧州では「法律や規則を破らなければ、ストライキや抗議行動の意味はない」という考え方が主流だ。このため政府や政党が生徒たちの金曜ストに一定の理解を示しているのだ。政治家たちは、地球温暖化や気候変動問題を無視できないことを理解している。2011年の福島原発事故直後に、メルケル首相が原子力擁護派から反原発派に手のひらを返すように「転向」したことを思い出させる。
いまドイツ市民の間では、連邦環境局(UBA)や環境保護団体がネット上に発表している計算表を使って、自分が生活することで排出されるCO2の量を計算するのが流行している。ドイツに住む市民が1年間に発生させるCO2の量は、1人当たり約12トン。多くの市民が「CO2を減らすには、自分の生活をどのように変えるべきだろうか」と考え始めている。その背景にはグレタさんが指摘するように、「自分の子どもたちが大人になった時に、地球の気候はどうなっているだろうか」という不安がある。
メルケル政権は、温暖化ガスの排出量を2030年までに1990年比で55%、2050年までに80~95%減らす目標を持っている。このために再生可能エネルギーが電力消費量に占める比率を2030年までに65%、2050年までに80%まで高めることを法律に明記している。
市民の関心の高まりを前に、メルケル政権は原子力だけでなく褐炭・石炭の使用もやめるという「痛みを伴う改革」に踏み切らざるを得ないのだ。
もちろん経済の非炭素化は、デリケートな政策目標である。市民や企業にとってエネルギー価格の高騰、可処分所得の減少を意味するからだ。フランスの燃料価格引き上げが黄色いベスト運動という過激な抗議行動につながったことが示すように、欧州には非炭素化に市民が反発する動きもある。このためドイツ政府は脱石炭に並行して、企業や家庭の電力コストが高騰するのを防ぐための助成措置を検討している。
日本にとっても対岸の火事ではない
日本ではあまり知られていないが、ドイツなど欧州諸国では地球温暖化と気候変動が重要な政治課題となりつつある。メディアがこれらの問題を報じる頻度は、日本とは比較にならないほど高い。機関投資家の間でも褐炭や石炭関連の企業への投資をやめる動き、保険会社が褐炭・石炭火力発電所に保険カバーを提供するのを取りやめる動きが目立っている。
経済産業省の長期エネルギー需給見通しによると、日本政府は2030年にも電力総需要の26%を石炭、27%を液化天然ガスでまかなう予定だ。再生可能エネルギーの比率は22~24%にとどまる見通し。ドイツの目標(65%)に比べると大幅に低い。
ものづくり大国ドイツがエネルギー転換に本腰を入れようとしている今、日本政府や産業界、電力業界への圧力が国際世論や機関投資家から高まる可能性もある。その意味で欧州諸国の動きはひとごとではない。欧州市民の地球温暖化問題への関心の高まりを、「環境ロマン主義にすぎない」と一笑に付すことは許されない。(熊谷徹 在独ジャーナリスト)【日経ビジネス】