原発事故から8年が経過し、避難者を取り巻く住まいなどの課題は複雑化、多様化が進み、いわばモザイク状になっている。生活再建が困難な人々の姿は覆い隠され、見えにくくなっていると感じる。
国は原子力政策を推進した社会的責任を認める一方で、法的な責任は争っている。公共事業には予算を手厚く配分するが、被災者支援の前提は自然災害と同様に自己責任のスタンスを崩していない。「生活再建は東電からの賠償金で賄ってください」ということだ。
賠償額は8兆円にまで積み上がっているが、元々あった収入や財産の損害を埋め合わせるものだ。大震災時に病気で失業していたり、持ち家でなかったりすればその分は受け取れない。経済的にあまり条件の良くなかった人が、厳しい状況に置かれている。
「ふるさとの喪失」などの損害は考慮されていない。原発事故の被災者は何を失ったのか、貨幣換算では見えにくい被害も明らかにする必要があるだろう。
福島県は自主避難者の帰還を促すため、2年前にみなし仮設住宅の無償提供を打ち切った。緩和措置とした家賃補助も3月で終わる見通しになり、新たな問題を引き起こしつつある。
避難者向けの復興公営住宅は県内にしかない。経済的負担から戻らざるを得ない人もおり、県外で避難を続けるのは厳しくなる。避難を終了させたい国の姿勢が透けて見え、帰還政策の性格は強まっている。
新たに家を構えたとしても、世帯分離やコミュニティーの衰退など苦悩を抱える。一人一人の実情に即したケース・バイ・ケースの復興をどのように支援するかが、今こそ問われる。
民間団体との連携はより重要度を増しているが、活動をサポートする予算規模は多くの費用が投じられる除染などに比べて小さく、継続性を保つのも困難になっている。
国による現状の政策には、人災に自然災害の枠組みで対処しようとする矛盾と、帰還など長期化が避けられない問題を10年の復興期間で終息させようとする無理がある。損害賠償訴訟などを通じ、国の法的責任を明らかにしなければ政策転換は図れない。
[福島復興再生特別措置法] 原発事故からの再生に向け、2012年3月31日に施行された。本来は自治体が実施する道路や堤防整備などインフラ復旧の代行や、安心して暮らせる生活環境の実現、産業の復興や創出の支援が盛り込まれた。原子力政策を推進した国の社会的責任も明記された。17年5月の改正で、立ち入りが制限されている帰還困難区域内での居住ができるよう「特定復興再生拠点区域」が創設された。市町村の計画に基づき、国費で除染や道路などの環境整備を集中的に進める。同年9月に双葉町、11月に大熊町、12月に浪江町、18年3月に富岡町、4月に飯舘村、5月に葛尾村の各計画が認定を受けた。【河北新報】