子供のランドセルを見つけた今野さん。イノシシに荒らされた家だが、この場所に戻る思いを抱き続けている(福島県浪江町)
2月1日朝。今野邦彦さん(60)は福島県浪江町の国道沿いにあるスクリーニング(汚染検査)場に車で入った。その先の自宅へ通じる道には堅固なゲートがあり、係員がつど開閉する。
帰還困難区域の津島赤宇木地区の自治会役員を務める今野さんは地区内の放射線量を定期的に測り、地区の歴史を記録する活動を2011年から仲間と続ける。1日は14年に建てた家がある避難先の同県桑折町から、雪の状況を見るため今年初めて訪れた。
イノシシ荒らす
自宅内は冷蔵庫が倒れ、床中に家財道具が散らばる。イノシシなどが侵入して荒らした跡だ。敷地周辺は6年前、国が行った試験的な除染の対象になり、線量は避難指示の解除レベルに下がった。だがその後、本格的な除染が行われることがないまま放置され、約30キロ先の東京電力福島第1原子力発電所では終わりの見えない廃炉作業が続く。帰還のめどは立たない。
今野さんは「今の暮らしに根を張ることが大事」と、桑折町内の清掃活動などに妻と積極参加する。一方で今野家は浪江で600年以上続いてきた。「帰れない自分は避難者」と考える。
しかし、福島県の統計上、今野さんは「避難者」ではない。
東日本大震災と原発事故の避難者数は福島県外分を復興庁が各都道府県を通じてまとめ、県内分を県が発表している。ピークは12年5月で県外約6万2千人、県内約10万3千人。今年1月にはそれぞれ約3万3千人、約9千人で県内はピーク時の9%まで減った。
県集計は「避難者」を仮設住宅など応急施設にいる人に限定。復興公営住宅に移った人や、今野さんのように県内に家を建てて暮らす人は外している。避難指示区域外からの自主避難者も、住居の無償提供が打ち切られた17年4月以降除いた。自然災害を想定した災害救助法の規定を、原発事故に当てはめたためだ。
一方、復興庁は14年8月に各自治体に示した定義で、避難者を「震災をきっかけに住居を移転、その後、前の住居に戻る意思を有する人」としている。
市町村はより幅広く「避難者」をとらえる。県が、避難者がいるとする13市町村に把握している県内避難者数を確認したところ、避難中の住民数(1月末もしくは2月1日時点)は計約5万2千人に上った。
住民票を維持したまま他地域で暮らす人、住民票は移したが避難前の町との関係維持を望む人、帰還していない事故当時の住民……。原発事故避難の実情を映し、これら全てを「避難者」とする町もある。福島大などが県内の復興公営住宅に暮らす原発事故被災者を対象に17年に実施した調査でも、5割が「避難者の認識がある」と答えた。
「ゼロ」が目標か
こうした人々が県の集計では見えない。県は「元の場所に戻る意思を随時確認するのは困難。外形的に分かりやすい、仮設住宅から出た人は外している。必要だと判断すれば支援することに変わりはない」(避難者支援課)と説明する。
県は20年に県内外の「避難者ゼロ」の目標も掲げる。「帰還か移住かの選択をして避難を終える人は今後増えるはずで、復興の目標指標だ」(同)という。
避難者支援に詳しい除本理史・大阪市立大教授は「仮設を出て自宅を再建しても、避難中という意識がすぐに消えるわけではない。避難者数の減少は復興の指標にならない」と批判。原発事故被害の過小評価につながる恐れも指摘する。
事故から8年。様々な事情が変わり、帰還か移住かで悩む避難者は多い。除本教授は帰還・移住の判断がつかない人を「長期待避」として公的に認め、支えていくことを提言する。【日本経済新聞】